米国居住者の役員報酬にかかる課税関係
1.はじめに
近年、日本企業がグローバルに事業を展開する中で、海外に居住する取締役や役員が増えています。
とりわけ、米国に移住した創業者や、駐在後に帰任せず米国に留まる役員などが、日本法人から役員報酬を受け取るケースは決して珍しくありません。
このようなケースにおいてしばしば問題となるのが、「どの国でその報酬に課税されるのか」という論点です。
米国と日本はそれぞれ独自の税法(内国法)を持っており、どちらの法制度においても課税対象となるため、単純に考えると同じ報酬に対して二重課税が発生してしまうことになります。
この二重課税を回避するために活用されるのが、「日米租税条約」です。
租税条約は両国間の合意により定められた国際的なルールであり、国内法に優先して適用される仕組みを持っています(いわゆるtreaty override)。
したがって、内国法上は課税対象となる報酬であっても、租税条約によって一方の国にのみ課税権があると定められていれば、その条文が最終的な課税関係を決定する根拠になります。
本稿では、米国居住者が日本法人から役員報酬を受け取る場合における課税関係について、「内国法→二重課税→租税条約→条文の適用」という論理の流れに沿って整理し、実務で注意すべきポイントをわかりやすく解説していきます。
2.米国の内国法上の取り扱い

(1)米国は「全世界所得課税」を採用している
米国では、税務上の居住者(U.S. tax resident)に対して「全世界所得課税(worldwide taxation)」の原則が適用されます。
つまり、米国居住者は、どの国から得た所得であっても米国で課税対象となり、すべてをIRS(米国内国歳入庁)に報告する義務があります。
(2)報酬の支払地や受取口座は関係なく、課税対象
この原則に基づき、日本法人から支払われる役員報酬についても、その報酬がどの国で支払われようと、あるいは受取口座が日本国内の銀行であろうと、米国税法上は米国の所得税の課税対象となります。
勤務の実態や報酬の源泉地がどこであるかにかかわらず、あくまで「米国居住者が得た所得」である限り申告義務が発生するというのが出発点です。
このように、米国の内国法上は、日本法人が支払う役員報酬であっても、それが「米国居住者の所得」である限り、米国において課税対象となることが原則です。
3.日本の内国法上の取り扱い

(1)非居住者に対する課税は「国内源泉所得」に限られる
日本の所得税法では、納税者である個人を「居住者」と「非居住者」に区分し、非居住者に対しては、その者が得る国内源泉所得に限って課税するという仕組みが採られています(所得税法第2条・第161条ほか)。
つまり、課税関係の出発点は「受け取る側が非居住者である」という前提に立ち、その上で、得た所得が国内源泉に該当するかどうかが判断の焦点となります。
※国税庁サイト参照(No.2873 非居住者等に対する課税のしくみ(平成29年分以降))
(2)日本法人からの役員報酬は「国内源泉所得」に該当する
所得税法第161条は、非居住者が得た場合に国内源泉所得とみなされる所得の範囲を明示しており、その中に「内国法人(=日本法人)から支払われる役員報酬」が含まれています。
つまり、役員がどこに居住しているか、実際にどこで勤務しているかにかかわらず、日本法人からの役員報酬であれば、日本国内源泉所得とされるのが原則です。
※国税庁サイト参照(No.1929 海外で勤務する法人の役員などに対する給与の支払と税務)
(3)源泉徴収義務:20.42%が原則
こうして国内源泉所得に該当すると判断された場合、日本の所得税法第212条に基づき、原則20.42%(所得税+復興特別所得税)の源泉徴収が支払時に必要となります。
これは非居住者への支払であっても、日本国内の法人がその支払者である場合に、源泉徴収義務が生じるというルールです。
このように、日本の内国法上は、米国居住者であっても、日本法人から支払われる役員報酬が「国内源泉所得」に該当する限り、日本において課税対象となることが原則です。
4.二重課税と租税条約の役割

(1)内国法ベースでは「両国で課税される」のが自然な結果
前述のとおり、米国居住者が日本法人から役員報酬を受け取る場合、米国の内国法では「米国居住者の全世界所得」として課税対象となり、日本の内国法では「国内源泉所得」として源泉徴収の対象となります。
このように、それぞれの国が自国の内国法に従って正しく課税しているにもかかわらず、同一の所得に対して二重に課税されるという状況が発生します。
(2)二重課税を回避するために「国際的なルール」が必要になる
このような二重課税の問題を解消するために設けられているのが、租税条約(Tax Treaty)です。
租税条約は、二国間で課税権の配分ルールをあらかじめ取り決めることによって、どちらの国がその所得に対して課税できるのかを明確にし、経済的な重複課税を防止する機能を果たします。
(3)租税条約は内国法に優先する「上位ルール」
米国憲法第6条(Supremacy Clause)および日本国憲法第98条第2項の定めにより、租税条約は内国法に優先して適用されるとされています(いわゆるtreaty override)。
つまり、内国法の上では課税対象となる所得であっても、租税条約で一方の国にのみ課税権があると定められていれば、条約の規定が最終的な課税関係を決定づけるというのが国際課税の原則となります。
- 日米両国の内国法に従うと、役員報酬は米国でも日本でも課税される=二重課税
- この重複を解消するため、租税条約が課税権の配分を調整する
- 租税条約は、両国において内国法よりも優先して適用される
5.日米租税条約の適用

(1)二重課税を防ぐための租税条約
前述のとおり、米国居住者が日本法人から役員報酬を受け取る場合、内国法のみに従えば、日本でも米国でも課税対象となり、経済的な二重課税が発生します。
このような事態を回避するために存在するのが、日米租税条約です。
この条約では、所得の種類に応じてどちらの国に課税権があるかを明示し、課税権の重複を防止する仕組みが定められています。
(2)「役員報酬」に対する租税条約上の扱い
それでは、問題となる「役員報酬」については、租税条約上どのように取り扱われているのでしょうか。
実は、「役員報酬」という言葉は条約上明確に定義されていないため、その実質的な性質に応じて第14条または第15条のいずれかが適用されるという運用がされています。
(3)第14条(使用人給与)に該当する場合
まず、租税条約第14条第1項は以下のとおり規定されています。
(原文)
ARTICLE 14 1.
Subject to the provisions of Articles 15, 17 and 18, salaries, wages and other similar remuneration derived by a resident of a Contracting State in respect of an employment shall be taxable only in that Contracting State unless the employment is exercised in the other Contracting State. If the employment is so exercised, such remuneration as is derived therefrom may be taxed in that other Contracting State.
(日本語訳版)
次条、第十七条及び第十八条の規定が適用される場合を除くほか、一方の締約国の居住者がその勤務について取得する給料、賃金その他これらに類する報酬に対しては、勤務が他方の締約国内において行われない限り、当該一方の締約国においてのみ租税を課することができる。勤務が他方の締約国内において行われる場合には、当該勤務から生ずる報酬に対しては、当該他方の締約国において租税を課することができる。
この条文に基づけば、雇用関係に基づいて行われる業務(勤務)に対する報酬は、勤務が行われた国に課税権があるとされています。
したがって、米国居住者が日本法人から報酬を受け取る場合であっても、その勤務が米国内で行われているのであれば、米国に課税権があるという整理になります。
(4)第15条(取締役報酬)に該当する場合
一方、租税条約第15条は、以下のように規定されています。
(原文)
ARTICLE 15
Directors’ fees and other similar payments derived by a resident of a Contracting State in his capacity as a member of the board of directors of a company which is a resident of the other Contracting State may be taxed in that other Contracting State.
(日本語訳版)
一方の締約国の居住者が他方の締約国の居住者である取締役会の構成員としての資格で取得する役員報酬その他これに類する支払金に対しては、当該他方の締約国において租税を課することができる。
この規定により、取締役会の構成員としての立場に基づく報酬については、法人が所在する国にのみ課税権があるとされます。
つまり、米国居住者が日本法人の取締役として報酬を受け取る場合、その報酬が「取締役会構成員としての活動」に対するものであれば、日本に課税権があるという整理になります。
(5)なぜこの問題が難しいのか?
条文の文言だけを見ると、「役員報酬=第15条」と考えたくなります。
そのため、実務上も「米国居住者が日本法人から役員報酬を受け取った場合、すべて第15条が適用され、日本に課税権がある」と解釈して処理してきた例も少なくありません。
しかし、実際には「役員報酬」の中には、取締役会に基づく報酬(第15条)と、業務執行に基づく報酬(第14条)が混在しているケースが多く、その区別こそが課税関係を大きく左右するポイントとなるのです。
この点については、2013年に日米間で合意された改正議定書とその付随文書(交換公文)によって、より明確な解釈が示されるようになりました。
次項では、この改正がもたらした影響と、実務上の判断基準について詳しく見ていきます。
6.2013年の日米租税条約の改正議定書

(1)曖昧だった「役員報酬」の取扱いを明確化するための動き
前述のとおり、日米租税条約上では「役員報酬」という用語の定義が明確にされておらず、実務上は第14条(使用人給与)と第15条(取締役報酬)のいずれが適用されるかについて判断が分かれていました。
従来は、「役員に対して支払われる報酬であればすべて第15条が適用され、日本法人からの支払いであれば日本に課税権がある」とする扱いが比較的広く取られていたのも事実です。
しかし、実際には役員報酬の中に、取締役会の構成員としての活動に基づく報酬と、日常的な業務執行(オペレーション)に対する報酬が混在していることが多く、報酬の性質に応じて条文を使い分ける必要があるという指摘が高まっていました。
この課題に対応するかたちで、2013年に日米両政府は改正議定書(Protocol)および交換公文(Exchange of Notes)を締結し、第15条の適用範囲に関する解釈を明確化することになりました。
(2)第15条の英語条文は変更なし、日本語訳のみ修正
2013年の改正において変更があったのは、日本語の訳文のみであり、それにより「どのような報酬が第15条に該当するのか」という解釈がより限定的に表現されるようになりました。
以下で、日本語訳の改正前と改正後を比較します。
| 項目 | 改正前の訳文(2003年当初) | 改正後の訳文(2013年改正以降) |
| 第15条(日本語訳) | 一方の締約国の居住者が他方の締約国の居住者である法人の役員の資格で取得する役員報酬その他これに類する支払金に対しては、当該他方の締約国において租税を課することができる。 | 一方の締約国の居住者が他方の締約国の居住者である法人の取締役会の構成員の資格で取得する役員報酬その他これに類する支払金に対しては、当該他方の締約国において租税を課することができる。 |
このように、「役員の資格で」から「取締役会の構成員の資格で」へと訳文が改められたことにより、第15条の対象となる報酬がより限定的であるという理解が明文化されました。
(3)交換公文による解釈の明確化
さらに、2013年の改正議定書に付随して交わされた交換公文では、第15条の適用に関して以下の2点が明確に合意されています。
- 居住者が実際に取締役会の構成員としての職務を行っていない場合には、第15条は適用されない。
- 仮に構成員であっても、その法人において従業員や顧問等として別途業務提供を行っている場合、その報酬は第14条(使用人給与)など他の条項の適用対象となる。
これにより、たとえば代表取締役が行う日常的な経営判断や業務執行、社内マネジメントといった活動に対する報酬は、実態に応じて第14条が適用されるべきという整理が実務上定着しました。
(4)改正議定書の発効は2019年
この改正議定書は、2013年1月25日に署名されたものの、米国上院の批准が遅れた関係で、実際に発効したのは2019年8月30日です。
したがって、この条項の明確な解釈が法的に効力を持ち始めたのは2019年以降であり、それ以降、企業側・納税者側にも明確な区別の意識が求められるようになりました。
(5)実務への影響:報酬の中身ごとの分類が不可欠に
この改正により、企業が支払う「役員報酬」の中身については、形式的な役職名ではなく、報酬の実質的な対価が何に対するものかに基づいて、第14条/第15条を使い分けることが求められます。
とくに以下のようなケースでは要注意です。
- 一人会社や取締役会非設置会社の代表者が受け取る報酬→原則として第14条に該当⇒米国において課税
- 名目的な役員で、日常的な業務には一切関与していないが、年に数回開催される取締役会には出席し、意思決定に参加している者→原則として第15条に該当⇒日本において課税
- 取締役会に出席し意思決定に関与しつつ、同時に日常的に経営管理や業務執行も行っている者→報酬を合理的な基準(役員報酬決定議事録や業務内容の時間割合など)に基づいて第14条・第15条に按分し、それぞれの課税対象国で適切に処理することが必要
まとめ
米国居住者が日本法人から役員報酬を受け取る場合、その所得は米国・日本の両国において内国法上は課税対象となり、放置すれば経済的な二重課税が発生します。
これを回避するために参照すべきなのが日米租税条約であり、課税権の所在を条文に基づいて判断する必要があります。
中でも「役員報酬」に関しては、その名目の曖昧さから、実務上第14条(使用人給与)と第15条(取締役報酬)のいずれが適用されるかが争点となってきました。
これに対し、2013年の改正議定書および交換公文により、第15条の適用対象は「取締役会の構成員としての活動に対する報酬」に限定されるという解釈が明確化されました。
したがって、現在では役員報酬であっても、その内容に応じて「業務執行に関する報酬」は第14条に、「取締役会関連の報酬」のみが第15条に該当するものと整理されており、報酬の性質ごとに正確な区分が求められます。
とりわけ一人会社や実務執行型の代表者が受け取る報酬は、第14条に基づき、勤務が行われた米国側に課税権があるというケースが多くなるでしょう。
このように、日米租税条約の正確な理解と適切な条文適用は、二重課税を回避しつつ、法的整合性のある申告を行ううえで欠かせない視点です。
特に国際的な役員報酬の取り扱いについては、表面的な名目ではなく、報酬の実態に基づく分析と条文の適用判断が実務の鍵を握ります。
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監修者
小林 賢介
早稲田大学政治経済学部を卒業後、 有限責任監査法人トーマツのグローバルサービスグループ部門に入所。 2015年8月よりDeloitte NYに駐在。 その後、ニューヨークにて UNIVIS AMERICA LLC(Univis US)を立ち上げ、同所長に就任。